香港・F1の会のリーダー、ノゲイラさんの日記に触発
されて。もう、自分でも忘れかけてたなんて、情けない
やら、悲しいやら。
1995年1月17日、午前5時?6時?(←時間は忘れた)
に震度7の直下型地震が淡路島沖で発生。
当時中学2年生だった自分も、実家の神戸にいて被災
したわけでして。
家が何とか無事だった(←但し、歩いたら揺れる不安定
な状況)のでよかったけど、ものすごく怖かった事を覚え
ている。なので、未だに地震がくると、ちょっとでも怖い。
家の外に出ると、家が崩れて道を塞いでいたり、ガス臭
かったり。長田の街では大火災が起こり、何人もの人が
逃げ遅れ。もし親父の商売の関係で長田に住んでいたら、
自分もその時に死んでいた可能性もある訳でして・・・
そして、太陽は埃に覆われてすごく不気味だった事を覚
えています。
会社が丸焼けになってから、親父は今もずっと苦しんでい
るし。
そして、避難所では偽善者ぶった人たちが救援物資を
私物化したり、果てには自分の店で売ったり(当然、その
お店はすぐに潰れましたが)。一時、人間不信に近いも
のになっていた気もする。
その反面、それがあったからこそ、区役所の人と知り合い
になれたり(それでかなり救われたと思う)、今の自分の
夢があったりする。
何がどう、とは言えないものだけど、自分自身に相当なる
影響を与えられた出来事である事は確か。
今までも、これからも。
無くなった方々のご冥福をお祈り致します。
そして、今、こうして生きている事に感謝。
2007年1月17日
Yossy
されて。もう、自分でも忘れかけてたなんて、情けない
やら、悲しいやら。
1995年1月17日、午前5時?6時?(←時間は忘れた)
に震度7の直下型地震が淡路島沖で発生。
当時中学2年生だった自分も、実家の神戸にいて被災
したわけでして。
家が何とか無事だった(←但し、歩いたら揺れる不安定
な状況)のでよかったけど、ものすごく怖かった事を覚え
ている。なので、未だに地震がくると、ちょっとでも怖い。
家の外に出ると、家が崩れて道を塞いでいたり、ガス臭
かったり。長田の街では大火災が起こり、何人もの人が
逃げ遅れ。もし親父の商売の関係で長田に住んでいたら、
自分もその時に死んでいた可能性もある訳でして・・・
そして、太陽は埃に覆われてすごく不気味だった事を覚
えています。
会社が丸焼けになってから、親父は今もずっと苦しんでい
るし。
そして、避難所では偽善者ぶった人たちが救援物資を
私物化したり、果てには自分の店で売ったり(当然、その
お店はすぐに潰れましたが)。一時、人間不信に近いも
のになっていた気もする。
その反面、それがあったからこそ、区役所の人と知り合い
になれたり(それでかなり救われたと思う)、今の自分の
夢があったりする。
何がどう、とは言えないものだけど、自分自身に相当なる
影響を与えられた出来事である事は確か。
今までも、これからも。
無くなった方々のご冥福をお祈り致します。
そして、今、こうして生きている事に感謝。
2007年1月17日
Yossy
コメント
俺は震災の風化が怖いねんな。
会社の九州出身の人に「今日何の日か知ってますか?」って
聞いたら「えっ、何の日でしたっけ?」って言われたわ。
(その後「今から12年前に…」って言ったらわかりはったけど)
逆に、震災で避難してきた人もいて、九州にいながら震災の規模の大きさを身にしみたものです。
あれからもう、12年なのか。早いね。
僕が当時住んでいたのはJR芦屋駅と阪神高速の間くらいに位置する宮川町と言う所でした。あの震災の数日前に近所に住んでいる友達の家でホ−ムパ−ティーを開いて(あぁ、芦屋に住めて良かったなぁ・・・)などと、悦に入ってましたよ。眼の前には、山と川(芦屋川)が織り成す綺麗な風景があって本当に幸福感を感じていました。
それが、あの日を境に全てが一変。
地獄絵図の様な光景に茫然自失・・・。実際、死の恐怖からなのか、一時、顔面の痙攣に悩まされた時期がありました。
まさしく被災者にとっては心の傷が蘇って来る日ですね。
俺の感覚ではぱっと出てこんかってん。あかんな…。
でも、関西以外の人は難しいと思うでそれ。
>苦瓜さん
おー、それはすごいな。
避難して(家が潰れて)親元の実家に転校していった人も
結構いました。。
時が経つのは早いものだね〜、ホンマ
>ノゲイラさん
あれ?関西でしたっけ???(スミマセン)
お仕事の関係でしょうか??
そこら辺は被害が大きかった方ですよね。JR〜阪神高速沿いが
結構被害を受けていた印象です。
落ち着いた時、自転車で走ってみてショックを受けた記憶があります。
当時大学生だった俺は、当時の彼女(で、今の嫁だったり
する…)を迎えに神戸(六甲)まで行ったわ。
崩れ落ちた阪神高速の横を通って、普段なら1時間かから
ない道が5時間くらいかかったな。でも助かって良かった。
この震災で亡くなった6千余の尊い命のうち、知合いも
いたし、一歩間違えれば自分も死んでたかもしらん。
1月17日早朝5時47分。この日、この時間はこれから
一生忘れる事はないでしょう。
5時47分。そうでしたね。
まだ明け方で暗かった。
そこから、朝日が出るのを待ちわびて布団の中でビクビクしてました。
六甲!!
じゃ、近くまでいらしてたんですね〜(当方、王子公園)。
外歩くのも危なかったので、怪我しませんでした?